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AN-M8煙幕弾
煙幕弾はスモークをたき、敵の視野を妨害する。
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ストーリー

2005年12月、ロシアの極右保守主義者であるウラジミール・マスコフ大統領の主導のもと、
旧ソ連の解体によって分裂した独立国家連合の11の共和国がロシアを中心に再統合された。
奇しくもそれは旧ソビエト連邦が誕生したのと同じ12月30日のことであった。

彼らは自らをNRF(Neo Russia Federation)と称した。
その領域は地表の6割を占め、人口では中国、インドに次ぐ
世界第3位の大帝国となったのだった。

マスコフの打ち出した政策は軍拡によるロシアの復権。
いわゆる「栄光ある強きロシア」であった。

マスコフの掲げた「栄光ある強きロシアの復権」は人々の目に
旧ソ連への回帰と映ったが、すばやく自国の経済を資本主義へと
転換させることにより、マスコフは他の保守政治家とは
一線を画した存在となった。
彼は、もはやソ連型社会主義は棄てられた粗大ゴミに過ぎず、
国を手っ取り早く富ませる方法は資本主義経済導入と戦争であると
放言してはばからなかったのだ。

無論、急速な変革は社会不安を生み出した。
しかし、マスコフは国内の不安を外交問題に転嫁する事で回避しようとした。
そのひとつが、アメリカとEUに対する予防戦争論である。

マスコフの主張は、「東ヨーロッパの平和はアメリカと
EUによる扇動と、内政干渉に脅かされており、
それに対して何らかの対抗策を講じなければならない。」というものだった。

その答えが、ワルシャワ条約の復活である。

ルシャワ条約の旗のもと、
NRF構成国が保有する軍事力はすべてNRFの国軍となった。
また、その強大な軍は軍備拡大のため、NRF非加盟を宣言していた近隣の国家に
続々と進駐を開始し、NRFへの帰属を迫った。

やがてNRF内部において発言力を増した軍部は本格的な対外戦争を叫ぶようになる。
軍部に後押しされる形で、マスコフは重要な産油地帯である黒海沿岸に謀略の目を向けた。
黒海は重要な資源地帯であるばかりでなく、
ヨーロッパ東部とアジアを結ぶ戦略上の要衝でもある。
マスコフと軍部は黒海沿岸の国々に軍事クーデターを蜂起させ、
それを支援し親NRF政権を樹立することに成功した。

NRFの急激な膨張を警戒していたEUは、その動きを牽制すべくあらゆる外交手段を用いて
東ヨーロッパでのNRF軍の撤収と黒海沿岸の国家に対する衛生国化の中止を打診する。
しかし、マスコフはその要請を黙殺し、NRFが覇権国家を目指すことを全世界に示した。

やがてEUへの加盟が認められなかった国や、加盟国でも差別対象とされてきたヨーロッパの
貧しい国家、北アフリカ沿岸の国家はヨーロッパの新秩序の建設に賛同し、NRF支持を表明する。
もはや全欧州の覇権がNRFの手に渡るのは時間の問題であるという風潮が蔓延する中、
スイスとオーストリアは早々と武装中立を宣言する。

2007年1月、東ヨーロッパの解放と石油資源の安定的な確保を
大義名分に掲げた英・仏・独および北ヨーロッパ諸国のEU軍は
NRFポーランド駐屯軍を攻撃。
これを皮切りとして長きに渡るヨーロッパ戦争が勃発するのだった。

戦争を待望していたNRF軍部はすぐさま戦線を構築し、反撃を開始。
その一連の戦いでEU軍は大敗を喫しポーランドから退却したのだった。
勝利したNRF軍はその余勢を駆ってドイツ国内に侵攻。
EU軍も果敢に防戦するもののドイツ各地で敗走を重ねた。

その後、ドイツ全土とフランス東部までを占領下においたNRF軍は、
EUの中核勢力を一掃するため、フランスに対して更なる猛攻撃を
加える事となる。

方、アメリカはうかつに動く事ができない立場にありヨーロッパ戦争に介入できずにいた。
アメリカを背後から牽制していたのは、マスコフから中東、黒海地域の石油資源分配の約束を取り付けた中国であった。

しかし、中国とNRFとの蜜月も終焉を迎える事となる。
NRFの拡大を恐れた中国は、対外政策を転換しヨーロッパ非介入を宣言したのである。
これにより足枷が外れたアメリカはEU軍支援を開始した。

2008年1月、
アメリカの支援を受けたEU軍は大規模反撃を開始する・・・